利用者の「帰宅願望」に対して筆者が現場で悩み、出した答え
認知症の人の帰宅願望とは、介護サービス利用者が施設などから「家に帰ります」「いつ帰れますか」など様々な言葉で、家に帰りたい気持ちを訴えることです。
このような訴えは、現場の介護職にとって対応が最も難しい状況(BPSD=行動・心理症状)と言え、多くの職員は対応に困った挙句、「今日はもう遅いので泊まっていきましょう」とか「もうすぐご飯なので、それが終わってからにしましょう」など、あからさまな嘘ではなくとも、その場限りの対処療法で何とか切り抜けようとします。利用者から「帰ります」という言葉が出ようものなら、職場全体に一瞬で緊張が走るというのは「介護あるある」のひとつです。
筆者は、認知症介護に携わる職員の「認知症介護実践研修」の講師も務めていますが、その中で受講者が「ケアの課題」として取り上げるものとして圧倒的に一番がこの帰宅願望です。そして、その帰宅願望が職員の仕事のストレスを増長させ、ケアの質に影響し、その結果さらに帰宅願望が増えていくという悪循環に陥ることも少なくありません。
筆者が介護現場でケアに携わっていた時代にも、実に多くの利用者の帰宅願望に接してきましたが、まさにその対応は日々手探り、試行錯誤でした。ただ、その場を切り抜けるための対処療法を行うのではなく、対応の良しあしはあったとしても、その個人個人の利用者と向き合ってきたと思っています。
歩行が不安定なので、いざりながら坂を下り続けた方の横で一緒にいざって歩いたこと。すぐにいなくなる方を日が暮れるまで探し回ったこと。しっかりした足取りで片道1時間かけて自宅まで帰る方と最後まで一緒に歩いたこと。「家まで送って」と日がな一日繰り返す方を実際に家を探しながらドライブしたこと。
安心と安全が合言葉になり、また万年マンパワー不足のため、どうしても効率を追わざるを得ない昨今の介護業界からは、なかなか想像するに難い時代でしたが、そのほとんどの場面が爽やかで穏やかな記憶となって今も筆者の心の中に生き続けています。なぜなら、そのすべてが、利用者と真剣に向き合っていたから、利用者も真剣にそれに応えてくれた、それが信頼関係と喜びを生んだと信じているからです。
さて、帰宅願望は、このような介護施設から自分の家に帰りたいというものばかりではなく、驚くことに、在宅の認知症の人でも、その住んでいる自宅から「家に帰りたい」と訴えることがあります。どういうことなのでしょうか。そもそもどうして帰宅願望は出現するのでしょうか。
少し考えてみたいのは、帰宅願望は本当に認知症の人だけの症状なのかということです。学生のころ、キャンプや部活の合宿に行ったことはありますか。社会に出て長期出張に行ったことや、単身赴任になったことはありますか。
そんな時、「ああ、家に帰りたい」としみじみ思ったことはなかったでしょうか。これまでの人生で「家に帰りたい」という気持ちを一度も持たなかった人はかなり珍しいと思います。
ほとんどの人にとって、自分の家は最も落ち着ける場所、心和み安心できる場所ではないでしょうか。家は「家族」と言い換えてもいいでしょう。家の中の家具、お気に入りの品物、家の佇まいや立地、周りの景色もそれに含まれているかもしれません。
認知症になった人が理解力・判断力が落ちていく中で、自分の居場所がわからなくなり、自分の存在自体があいまいになり、恐怖と不安の奈落に落とされていくとき、「落ち着きたい。安心したい」と思う気持ちはとても自然なものではないでしょうか。
帰宅願望に接したとき、介護職員にとって大切なことは、自分が不安なとき、混乱しているときに、否定されたり、ごまかされたりしたらどんな気持ちになるかをまず想像することです。そんなとき、自分だったらどんな言葉をかけられたいか考えながら、関わる人の「心の安全基地」になっていただきたいと思います。
株式会社セブンシスターズ
矢野健太郎
このような訴えは、現場の介護職にとって対応が最も難しい状況(BPSD=行動・心理症状)と言え、多くの職員は対応に困った挙句、「今日はもう遅いので泊まっていきましょう」とか「もうすぐご飯なので、それが終わってからにしましょう」など、あからさまな嘘ではなくとも、その場限りの対処療法で何とか切り抜けようとします。利用者から「帰ります」という言葉が出ようものなら、職場全体に一瞬で緊張が走るというのは「介護あるある」のひとつです。
筆者は、認知症介護に携わる職員の「認知症介護実践研修」の講師も務めていますが、その中で受講者が「ケアの課題」として取り上げるものとして圧倒的に一番がこの帰宅願望です。そして、その帰宅願望が職員の仕事のストレスを増長させ、ケアの質に影響し、その結果さらに帰宅願望が増えていくという悪循環に陥ることも少なくありません。
筆者が介護現場でケアに携わっていた時代にも、実に多くの利用者の帰宅願望に接してきましたが、まさにその対応は日々手探り、試行錯誤でした。ただ、その場を切り抜けるための対処療法を行うのではなく、対応の良しあしはあったとしても、その個人個人の利用者と向き合ってきたと思っています。
歩行が不安定なので、いざりながら坂を下り続けた方の横で一緒にいざって歩いたこと。すぐにいなくなる方を日が暮れるまで探し回ったこと。しっかりした足取りで片道1時間かけて自宅まで帰る方と最後まで一緒に歩いたこと。「家まで送って」と日がな一日繰り返す方を実際に家を探しながらドライブしたこと。
安心と安全が合言葉になり、また万年マンパワー不足のため、どうしても効率を追わざるを得ない昨今の介護業界からは、なかなか想像するに難い時代でしたが、そのほとんどの場面が爽やかで穏やかな記憶となって今も筆者の心の中に生き続けています。なぜなら、そのすべてが、利用者と真剣に向き合っていたから、利用者も真剣にそれに応えてくれた、それが信頼関係と喜びを生んだと信じているからです。
さて、帰宅願望は、このような介護施設から自分の家に帰りたいというものばかりではなく、驚くことに、在宅の認知症の人でも、その住んでいる自宅から「家に帰りたい」と訴えることがあります。どういうことなのでしょうか。そもそもどうして帰宅願望は出現するのでしょうか。
少し考えてみたいのは、帰宅願望は本当に認知症の人だけの症状なのかということです。学生のころ、キャンプや部活の合宿に行ったことはありますか。社会に出て長期出張に行ったことや、単身赴任になったことはありますか。
そんな時、「ああ、家に帰りたい」としみじみ思ったことはなかったでしょうか。これまでの人生で「家に帰りたい」という気持ちを一度も持たなかった人はかなり珍しいと思います。
ほとんどの人にとって、自分の家は最も落ち着ける場所、心和み安心できる場所ではないでしょうか。家は「家族」と言い換えてもいいでしょう。家の中の家具、お気に入りの品物、家の佇まいや立地、周りの景色もそれに含まれているかもしれません。
認知症になった人が理解力・判断力が落ちていく中で、自分の居場所がわからなくなり、自分の存在自体があいまいになり、恐怖と不安の奈落に落とされていくとき、「落ち着きたい。安心したい」と思う気持ちはとても自然なものではないでしょうか。
帰宅願望に接したとき、介護職員にとって大切なことは、自分が不安なとき、混乱しているときに、否定されたり、ごまかされたりしたらどんな気持ちになるかをまず想像することです。そんなとき、自分だったらどんな言葉をかけられたいか考えながら、関わる人の「心の安全基地」になっていただきたいと思います。
株式会社セブンシスターズ
矢野健太郎
